【はじめしゃちょー未来の自転車】とデザインについて述べてみる
未来的デザインについて
まず本題に入る前に未来のデザインについて少し触れて見たいと思います。というのは、たいていの場合、何らかの製品に対して『未来の』から始まる場合、その製品の『機能』に限らず『デザイン』に対して形容されていることが多いからです。
Iphoneや、スポーツカーなど、たくさんの『未来的デザイン』は既知だと思いますが、未来的なデザインにはいくつか共通している点が見受けられます。いくつか述べて見ましょう。
(1)流線型が多い
流線型は未来都市の鉄板ですよね。実は流線型デザインは単にかっこいいだけではなくて、新幹線とかでは風を切り裂き風力による抵抗を下げる役割がありますよね。
自然の木や川の流れも流線型であり、実は非常に自然的なデザインであると言えます。
アントニオ・ガウディという建築家も自然の原理や形をそのまま建築に応用した結果、カサ・バトリョやサグラダ・ファミリアと言った名作を創造するに至ったのも有名な話です。
未来的=流線型=自然的な形、なかなか面白い解釈ではないでしょうか?
(2)シンプルでコンパクトである
これも鉄板。
複雑な形がかっこいい。という時代もありましたが、大量生産大量消費を否定するように、シンプルイズベストという言葉や、ミニマリズムという生き方が社会に浸透する動きを強めるが如く、コンパクトデザインが愛される時代になりました。
持ち運び便利、必要十分な機能を果たすのであれば、その形態はシンプルの方がかっこいいという認識が生まれたんでしょうね。
代表的な例がIphoneでしょう、必要十分な機能を持っていればデザインもシンプルになっていく、という規格製品への価値観を投影した素晴らしいコンパクトデザインですよね。
(3)パーソナラライズされている
これは完全に私個人の意見ですが、消費文化などを筆頭に、今後社会はより個人的趣向に合わせたダイナミックな変化を要求されていくと考えられます。
大衆に向けてデザインを統一し、それが文化の第一線であるようなマーケティング手法は時代遅れです。
今後は日本に限らず、世界各地で個人個人の生き方や価値観にあったデザインの選択が進んでいくと思われます。
はじめしゃちょーの『未来の自転車』についてデザインの観点から述べてみる
ここまで『未来っぽい』デザインについて私なりの解釈で説明しましたが、大まか正しいのではないかと思います。
特に規格製品として実現することが難しいと考えられる流線型のデザインはまさしく『未来っぽい演出』をしてくれますよね
ここで、今回の記事の本来の目的である『はじめしゃちょー』の未来のデザインについて考えてみましょう。
まずは動画を引用させていただきます(ありがとうはじめしゃちょー)
確かに未来のデザイン!
この自転車はveloart intelligence様(veloart intelligence)が販売しているVelomibile(ベロモービル)という種類の軽車両のようです。
値段はおよそ100万円で、動画の中でも『100万円企画』として取り上げられていました。一台を制作するためにおよそ2ヶ月かかるということです。
かっこいいですよね。
確かにここまで述べてきた1)流線型のデザイン、2)コンパクトかつシンプル、3)パーソナライズの条件をすべて満たしております。
機能も優秀で時速80kmほど出るらしく、ライトも完備されており、操縦席はパーソナライズされているという便利な乗り物です。
ですが、この車体と非常に似ているデザインはもう90年前に存在してたんですよね。
ここからが本題です。
Velomobileについて
実はベロモービルという軽車両が誕生したのは、今から90年ほど前のヨーロッパのようです。当時は機械産業が世界各地に広がり、産業資本主義の流れが歴史上地球に強く根付いた時期です。
当時の発明家はアイデアとデザインと機械の融合を模索しており、多くの歴史的発明が生まれた時代であるともみて取れます。
ベロモービルは、完成した直後は注目を集めていたようですが、車という燃料による動力機によって代替され、衰退したようです。当時は完全に機能崇拝の時代で、人間がわざわざ体を動かさずとも動く乗り物にみんなが惹かれたようですね。
しかし、近年、地球環境との関係からベロモービルが見直されてきてるようです。
例えばこの動画などでも、ベロモービルが地球環境に優しく、健康にいいことを前面に押してベロモービルの宣伝をしていますね。
確かに、燃料なしでスピードが出て、さらには健康的であると考えるとこの車はコンパクトシティ化が進む今後のまちづくりやコミュニティデザインには適しているように思えます。
さらにはこの動画でもベロモービルに乗っている感じが伝わってきてみていてワクワクしますね。
天才発明家バックミンスターフラーも!?
さらにこれと似たようなデザインは、戦前から活躍していたアメリカの天才発明家、バックミンスターフラーも生み出していました。
それこそが、ダイマキシオンカーです。
次に出す動画はWall Atreet Journalで、彼の発明品(Dymaxion car)が取り上げられた際のものです。これも引用させていただきます。
どうでしょうか。ちょっと違いますけど、デザインとしての共通点がいくつかあることに気づきましたか?
まずはタイヤが三つしかないということ。必要最低限の昨日で機能をみたいしていること。など色々とあると思います。
実はこの発明家、本当の天才でこの車以外にも多くの分野で結果と影響を残しています。日本ではあまり聞かない名前なのが残念ですね。
これはベロモービルとは違い、燃料で動く『車』であり、同じく最初は注目を浴びたものの、死亡事故を引き起こし、三輪自動車の運転制御が難しいことを証明したことで知られております。
最後に
日本では一般的な自動車が好まれており、ベロモービルのようなコンパクトカーは広まっておりませんね。しかし、はじめしゃちょーのように有名なお方が広げていくことで、我々の生活を取り巻く道具としていつか受け入られていくのではないでしょうか。
三輪の自動車は実はスピードがかなり出るという点で一定の評価がありますが、躯体を大きくしすぎると制御しづらくなるので、ベロモービルぐらいの大きさがちょうどいいのでしょう。
しかし、常に新しいことやものとの発見に恵まれているはじめしゃちょー、今回はいいものを見つけ出しましたね!この新規性は見習わないといけませんね。
さすが、日本一のYoutuber...
【デザインの意味】理系大学院生の私が本気で考える
そもそもデザインとは?
デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。
また、デザインとは具体的な問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。
wikipediaより引用 (デザイン - Wikipedia)
その目的のための計画そのものが実は「デザイン」です。色や形、技術や機能は、その目的を実現するための手段のひとつです。デザインは常に「ヒト」が中心にあり、だからこそ社会を発展させる力を持っています。誰かの生活を真に豊かにすること、またはその可能性があること。それを達成しているものごとを我々は「よいデザイン」と考えます。
公益財団法人日本デザイン振興会より引用(デザインとは? | 公益財団法人日本デザイン振興会)
以上のページの参考から初めて、今日はデザインについて考えてみたいと思います。
デザインの定義を 以上二つのサイトを参考に調べてみたところ『デザイン』とは『計画の記号化』であると言うことが大まかな定義であるとわかります。
記号とはすなわち、文字や色そして形などのことですね。(記号=表現)
つまり、それらを駆使して、ある目標を達成することが『デザイン』だと考えられます。
誰しもが『デザイナー』である
この考えの面白い点は、誰もが実はデザイナーであるという点にあります。一般的にデザインとは物や創作物の表層的な面にのみ注目されていることが多く、その成果物の背景にまで興味が向けられることは少ないです。
しかし、デザインの本質はあくまでも『目標達成』のための『記号による計画化』であり、それは我々の目に見えないところで常に行われているのです。
例えばコミュニケーション、これは相手に自分の意思を伝えるために『言語』、『表情』、『トーン』、『声の大きさ』などの記号を組み合わせて、意思伝達の目標達成をしているのです。
当然コミュニケーションだけではなく、今日のデートプランや、食事のメニューそういったものを考えて実行して行くプロセス、それこそがデザインと言えるでしょう。
伝わりましたか?
『記号』とは何か?
デザインとは『目標』を達成するための『記号による計画化』と述べましたが、より詳しい説明を付け足したいと思います。
記号とはデザインツールだと言えます。絵描きにとっては"絵の具や筆"と"腕前"といったようなものでしょうか。
まず記号に関してですが、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」に分かれると言えます。先ほどの例で言うのであれが"絵の具や筆"が『目に見えるもの』、"腕前"が『目に見えないもの』でしょう。
これは『言語』や「声の色』といった不可視な記号と、『色』や『形』といった視覚に直接訴えることができる記号に分かれるということでしょう。
ここで『可視的なもの』と『不可視的なもの』 のマトリクスができますね。
驚くことに『不可視な記号』と『可視的な記号』を思いついた分、ざっと書いてみたのですが、不可視の物の方がたくさんありました。
これについてはまたデザインシンキングのページで説明させていただきたいなと思います。
そうなると『記号の計画化』によって生じるデザインにも『可視的なもの』と『不可視的なもの』が成立するとわかります。
それこそ『モノ』と『行為』でしょう。
『モノ』と『行為』
『モノ』のデザイン
可視的な記号によってデザインされた『モノ』の代表例はコップやいす、スコップといった、生活用品でしょう。
これらは直接的に『目標』を達成する『記号による計画化』が体現されています。
例えば『飲む』という行為を達成するために、素材+加工という記号の組み合わせによってコップはデザインされています。それこそわかりやすいデザインでしょう。
こういったものは、原子の時代から存在するものもありますが、時代が進んで行くにつれ、形式や様式が生まれ、されに地方それぞれの文化に合わせてデザインの形式が細分化していったものが多く含まれます。一方、気候や独自の風土に合わせて誕生したものは伝統的かつその土地独自のデザインとして昇華されたものが多いとも考えられます。
『行為』のデザイン
では対して『行為』とはどのようなデザインなのでしょうか?
これらは主に『不可視的な記号』によってデザインされます。
例えば『演劇』や『祭り』、『卒業式』のようなものでしょうか。
それらは『風土』や『伝統』という不可視的記号を土台に、時代に合わせた変化をしています。さらには舞台構成や、店舗配置、進行の順序といった『形式的なルール』も存在しており、時代が変わっても統一感のある構成になっていますね。
『卒業式』や『夏祭り』といった言葉が持つノスタルジックな印象は、ある程度不可視的な記号によってデザインされた行為が、我々の中の共通認識として存在しているからではないでしょうか?
最後に
デザインといえば、『専門的な知識を持っていて、さらにはイラレやフォトショがバンバン使えて絵も上手い人が初めて口にできる言葉!』
というイメージがあると思います。
けど私はその解釈が嫌いです。
なぜなら、デザインとは私たちがより豊かに生活を営むためのツールであり、目標達成のための計画だからです。つまり、誰しもがデザインをするべきだと思うからです。
最近ミニマリズムという生き方が流行っていて、僕も生活の一部で取り入れていますが、『ミニマリズム』というルールも一つのそのルールという記号によってデザインされた生き方と言えると思います。
こういったように、我々はデザインをデザインとして認識していないだけで、実は我々の生活はそういった無形なるデザインによって構成されているという見方もできるのではないかと思います。
『デザイン』は人によって定義が違いますが、この記事を見て少しでも、認識を広げてくれたら嬉しい限りです。
古今東西「天才」「奇才」「鬼才」採集
文明が発達し始めた古代エジプト、古代ギリシアから現代まで遡って、いつの時代でも、常人の常識を翻す桁外れの能力を持ち合わせた人間がいました。
『天才』とは誰もが憧れる存在そのものでしょう。
話は逸れますが、並外れた能力を持ち合わせることを意味する言葉は大きく分けて実は三つあるということがわかりました。
それが「天才」「奇才」「鬼才」
天才(てんさい)とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである。天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。(wikipediaより引用)
奇才(きさい)とは世にも珍しい、常人とかけ離れた能力を持つ人物
鬼才(きさい)とは人間とは思えないほどの鋭い才能を持ち合わせるじんぶ。(goo翻訳より引用
凄さ的には
天才<奇才<奇才
らしいです。。。
もうわけわかんない。
ですが、こう行った言葉のバラエティがある以上、我々は天才的な人間に対して一種の憧れを持っていることが伺えます。
色々な書店を回って思ったのですが「個人」としての天才に焦点を当てた本は多いのですが、古今東西各地の「天才」を収集した百科事典的な本がないことに違和感を覚えます。
そこでこれから半年間ほどかけて、「天才採集」と題しまして、古代から現代に到るまでの「天才」「奇才」「鬼才」を集めて収集して行きたいと思います。
それでは!
アートとAIに関する『Ted Talks』を鑑賞してみる~ Thinking the correlation between AI&ART
『AI』と『Art』の関係性についての理解を深めたい
Artificial Intelligene(人工知能)とArt(芸術)は一見すると全く別に思えます。その理由は、人工的な知能が持つ論理的、演繹的思考力と、Artを生み出すための人間的な感情に基づく創造力や直感力などが全くの別物であると考えられるからです。
しかし、世界では現在『Art』と『AI』を同じくくりに捉えて、人間性への理解とともに人工知能の発展を目指している潮流があります。
特にTEDでは『Art』と『AI』についてのプレゼンテーションを提供しているその道の第一人者が多くみられます。
今日は、『Ted Talks』の中でも Art×AIに注目したプレゼンテーションを探してみたので、感想とともにここに載せたいと思います。
How we can teach computers to make sence of emotions
=機械と人間の接点=
このプレゼンテーションは世界的企業IBMのリサーチャー、デザイナーでもあり同時にアーティストでもあるRaphael Ararさんが登壇しています。いかにしてAIに人間的な感情を教え込むのかという内容なのですが、人間が持つ複雑な感情をAIに反映させる際にアートがどのような役割を持つのかということについての説明をしています。このプレゼンテーションの中では、語り手の話す『ノスタルジア(感傷的)』な話がどれだけ『ノスタルジア』なのかを採点するAIが説明されました。ナラティブなものに技術的なメスを切り出すのは、さすがアーティストって感じですね。
今後すぐに訪れるであろうデジタル化に対して、そのスタートアップの段階から人間性を反映させて(文中ではembedと表現していたが翻訳上の理由から反映に変えます)いきたいと語ってますね。それこそが人間性を表現する手法でもあるArtに着目する理由でもあるのでしょう。
How computers are learning to be creative
=知性の拡張=
このプレゼンテーションを提供しているBlaise Agüera y Arcas さんはGoogleの科学者でもあり、3D技術を代表とし、情報技術の世界で非常に大きな影響力を持っていることで知られております。(当然、私はこの記事を書くまで知りませんでしたが笑)
ミケランジェロの『知覚と創造性は密接に結ばれている』という格言の引用から、現在AIのシステム構築の現場で応用されている理論について説明しています。
『知覚(perception)』と『創造性(creativity)』は対照的な存在でありながらも、その二つがセットになることで新しい発明が生まれるという解釈をしましたが。要するに人間がある事象を知覚するプロセスを研究し、そのアルゴリズムをコンピューターに応用させれば、さらなる発展が望めるのではないか、というプレゼンです。
にしてもめっちゃいい声でそっちに気を取られてしまった。。。
The incredible invention of intuitive AI
=Welcome to The Augmented Age=
この動画はAutodeskの戦略的イノベーションの取締役を務めるMaurice Conti氏によるプレゼンテーションです。
彼はイノベーションが今後どのように世界を変えるのかを説明しておりましたが。産業製品を含む多くのもののデザインがDeep Learning system によって変化していくと述べてます。
そして、これまで人類が経験してきた、
Hunter-Gatherer Age(氷河期)
Agricultural Age(農時代)
Industrial Age(産業革命時代)
Information Age(情報時代)
に続き、今後はAugmented Ageという時代が始まると述べています。
技術の発展が人間の能力を拡張し、我々の創造性をより強化するという意味でしょう。
コンピューター自身が自発的にアルゴリズムを学習し、新しいデザインを創造していく過程が述べられていましたが。まあ今後はそうなっていくでしょうね。
Can a computer write a poetry?
=Yes or No ?=
この動画のプレゼンテーターであるOscar Schwartz氏は詩人であり、動画の中では二つの詩を並べ、どちらがコンピューターのアルゴリズムによって創作された”詩”で、どちらが人間が創作した”詩”なのかを質問しています。
この動画の面白い点はプレゼンテーターが哲学科である点だと思います。
形式と意味が揃うことで事象が定義されるのであれば、コンピューターが文章を自発的に表現できたとしても、それはもはや詩としての価値がないのでしょう。
How AI can enhance our memory, work and social lives
=AI is worth spreading=
最後はこの動画です。英語もわかりやすいですし、さらっとこれまでの動画の総括としてもみる価値はあるでしょう。
AIの持つ情報記録能力を使えば、あなたの記憶を増強させることもできると説明しています。
これは完全にAugmented Eraのプレゼント同じこと言ってますね。動画中では"Personal momory is a private meory"と言ってますが、オンラインでつながっているこの時代において、今後情報技術が発展した場合、共有される記憶、いわゆる"shared memory"なども生まれて来るのではないかと思わせる面白い動画です。
最後に
これまで三つの動画をみてきましたが、AIとARTの関係性を調べることを目的として合計5つの動画を見てきましたがわかったことが幾つかあるのでまとめて見ます。
先に行っておきますが、当然、私のような初心者には手に負えない領域なので、私の主観による解釈です。
1:AIは我々の認知機能、創造力の領域を広げていく(Augmentation)
2:Artは人間の感情を表現する手段であり、Artへの理解、人間の感性の理解がAIの発展にもつながる。
3:テクノロジーと人間性の境界がよりはっきりしていき、Artの定義がこれからはより重要視されていくのではないか。
AIに関しては一人の技術者として興味深いですね。まあ、政治なども絡めばそう簡単に既存の仕事が社会的になくなることはないと思えますが、死ぬまでにはAugmented Ageの最先端を体験したいものです。
イラストレーターでタイトル背景作りました。
『五線譜の上の人生』
もっと凝ってもよかったかもしれない。。。
Youtuber『ハイサイ探偵団』が面白すぎる。
ハイサイ探偵団が面白すぎる
皆さんは『ハイサイ探偵団』というYoutuberをご存知であろうか。おそらく大学生であれば5人に一人くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。
私が思うに、彼らは沖縄出身のYoutuberでは一番人気のクリエイター集団である。
その魅力は何と言っても、彼ら自身のパーソナリティにあると私は思う。
とにかく素直であり、都会に住んでいる者とは全く別の、自由でおおらかかつ大胆な感性を動画を通じで楽しむことができるのが、彼らの魅力ではないだろうか。
彼らのコンテンツの魅力的構成要素を私なりに考えるとすれば
沖縄×青春×冒険×挑戦×発見=ハイサイ探偵団
だと思う。
今日はそんな彼らの動画の中で私が特に魅力的だと感じる動画を紹介していきたいと思う!
蛇!蛇!蛇!
沖縄といえば海!酒!釣り!そしてハブといったぐらいにめちゃくちゃ蛇に関することが多いのが彼らの特徴です。
特に一押し動画はこれ!
『持ち帰った、ハブですね!!(きりっ)』じゃないですよ。何やってるんですか兄さんがたwww
めちゃくちゃ危険だし、普通にハブ厳ついしでカオスな動画ですよねこれ笑
ですが、この動画を通してハブ酒の具体的な作り方や、沖縄の地上戦に絡んだトピックが出る点は勉強になりますし、沖縄人の色みたいなものをぐっと感じる味のある動画だと思っております。コメント欄を見てみると動物愛護に関する件や、戦争に関する視聴者の反応が強く見られ、教養的な意味合いのある良い動画であると思います。
次はこれ
もはや字面で伝わるヤバさがありますよね笑笑
廃墟×巨大ハブとか、何のドキュメンタリーだよって笑
沖縄だと当たり前なのかもしれませんが、日常的にハブがいる環境が彼らのタフでしなやかなメンタルを作り上げているのかもしれません。
リスペクトしか感じ得ない笑
にしてもこのハブ、おっきいですねえ。ハブ酒を飲めば精力増進も頷けちゃいますよ。
お次はこれです
うむ、相変わらず最高の動画タイトルである。
まず小屋に巨大蛇が現れたまではわかりますね。
捕獲までもこれまでの動画を見ていたらうなづけます。
『食べて見た』。。。。?
いやいやいや、そういう思考に至らんわ普通!!!笑
もう普通のバラエティ番組の何倍も飛んでますよ。ほんと。最高っす兄さんがた。
最後はこれです。
これも最高に面白い!武Cさんというキャラの魅力に惹きつけられますね。僕もこんな人たちになりたいですよ笑
夜の沖縄の山を歩いてハブを探して捕まえてみる企画なのですが、普通に夜道ハブ多すぎ!!
怖すぎますよほんと。てか今回はプロのハブ取り師みたいな人まで参戦していて、、、
これは鉄腕ダッシュでTOKIOと共演してほしいレベルですよ。
絶対に好視聴率取れると思うんですよね。。。笑 ついていきますよ兄さんがた。
しかし何度も蛇ばっかり見てると思うのですが、やっぱり綺麗ですね。
サバイバル編
次はサバイバル編です。これは普通に男なら一度はやってみたいことをバンバン実践しているのですが、やはり沖縄人。会話のテンポが何とも良い。
ひっちゃんのラフだけど男らしい感じが本当に魅力的ですね。釣りに関してもなかなかに詳しくて、沖縄に行ったら彼らにガイドしてほしいと思ってしまうほどです。。
ここで気付いたのですが、彼らの使っているバックミュージックが本当に良いですね。穏やかさと陽気さがそのまま伝わってくる感じが見ていてワクワクしてくる。
もう一つのサバイバル系のオススメはこれです。
何と沖縄に存在するという幻のカエルを探しに行くという内容のものですが、まず一番の驚きは、もはや彼らの探しているカエルが我々の知っているカエルではないという点です笑
いや、それスリランカとかにいるやつじゃないのってのが、沖縄にはいるんですね。
にしても夜中にこんな山奥で冒険する勇気、さすがっすよ。
しかもまたハブやし、またまたまたまた猛毒やし。
途中の空気のくだり、、、笑笑
ギャグセンまでバッチリですね! 素手でハブを捕まえる『生物ギーク』ことカイさん、ワイルドすぎませんか??
ギャグ系
ワイルドで爽やか、、、彼らの魅力を上げて行くときりがないですが、やはり一番の魅力は『ギャグ線』だと思います笑
一押しはこれ!
涙なしでは見れませんね。
やはり変わらないものは思い出だけなのでしょうか。
これは、時間があるときにゆっくり見てください。
インパクトでこれに勝るものってあるんでしょうか、、、?
これはもう僕では語りきれません。
ただただ彼らの最高な日常の断片を見て見てください笑ラップなんか最高ですよ。うますぎでしょ笑
にしても結局この人は誰だったんでしょう。
もう知らない人が急に入ってきても沖縄なら何とかなりそうですよね笑
ハイサイ探偵団最高!
以上が僕が今日説明できる『ハイサイ探偵団』の魅力です!以上全ての動画は全部本当にオススメです!
Youtubeができて、今まではリアルに伝えることのできなかった自分とは全く違うライフスタイルを送る人たちの人生を楽しむことができる時代になって、本当にいい時代ですね。
もし沖縄のライフスタイルに憧れている方々がいれば、見て見てください!
『エロ本』の市場価値を真面目に考える
『エロ本』とは??
アダルト雑誌のこと、主に男性用の消費財であり、各出版社が月もしくは週に1冊ほどの期間で販売している。
一般的な見解からすると、2000年代以降はインターネットの普及より消費者のシェアの大半を吸収されており、今後もますます市場規模が下がっていくと考えられている。
また、その影響もあり、『エロ本』はただ『エロい』というだけでは売れ行きが伸びず、多様性豊かな消費者の趣向性に合わせて、ターゲティングをみっちり行なっていることが特徴的である。
インターネットの市場規模が拡大しつつも、紙媒体である『エロ本』は未だに多くの勝者を引きつけており、地元のコンビニエンスストアやスーパーでは根強く『エロ本』メインの棚がある。
管理人と『エロ本』の思い出
当方が未だ小学6年性であった頃は、毎日の通学路のゴミ捨て場に、多くのエロ本がまとめて廃棄されていたことを覚えている。今現在、性欲が一般人の3倍はある私の『エロ本』との出会いは、夜の公園であった。
友人とキャッチボールをしていた際に、彼が投げたボールが私の頭上を飛び越えて、公園の草むらの中にダイブしていった。今思えば、あの時の週刊誌が今の私のピンク色な部分を形成したといっても過言ではない。
草むらの中で私は野球のボールだけではなくじぶn、、、そろそろ本題に入りましょう笑
モデル作成
『エロ本』の市場価値=『エロ本』の需要で良いでしょう。
人口×購入率×平均購入冊数×単価=一年間の需要
で良いのではないでしょうか。
仮に世帯ベースで『エロ本』の需要を考えるとしたら、なかなか想像が膨らんじゃいますが、、、笑 冷蔵庫やエアコンではないですからね笑
算出
人口はいつも通りこれを用いましょう。
今回は消費者を20代から60歳までの男性に絞ります。
そうなると大体 9000万÷2=4500万になりますね。
次に購入率と平均購入冊数ですが、20代から40代まではインターネットが使いこなせると考え、5%が年に一回ほどと考えます。・・・①
そして40代から60代は、紙媒体に愛着があり、さらにインターネットを使える人と使えない人に分かれると考えます。
インターネットを使える人として、全体の5%が年に3回の消費・・・②
使えない人が全体の15%いるとして年に12回の消費とします・・・③
ということは
①:2250万×5%=112500冊
②:2250万×5%×3=337500冊
③:2250万×15%×12=4050000冊
①+②+③=4500000冊
よって450万冊ほどの需要があるとわかりました。
そして単価を千円であると考えらた場合、45億円の市場価値があると考えられます。
おそるべし『エロ』の力に圧倒されてしまいます。
実際のところは?
調べた見たのですが、なかなか良い記事が見当たらず結果は謎です。。。しかし、自分が思っていた以上にアダルト業界の市場規模は大きく、自分の結果を大いに上回るかもしれません。
また、アダルト分野としては今後、女性の消費者層の拡大が鍵となってきそうです。笑われの生活の大きな一部分であることは、日頃めったに語られることがないのにもかかわらず、非常に大きな市場規模でありことが明らかに示しています。
今後も、こんな風に軽くフェルミって行こうと思うので、どうかよろしくお願いいたします。
ブログに著作物の写真を乗っけても大丈夫なのか?
ブログに著作物の写真を乗っけても大丈夫なのか?
僕は『引用』を、『諸刃の剣』と解釈している。
使い方を謝らない限り、自分の論の正当性をより強固にし、さらなる『信用』を稼ぐことに寄与してくれるからだ。
だから今後のブログでもできるだけ、『引用』という点においてはセンシティブに扱っていきたいと考えている。
今日気になったことは『ブログに著作物の写真を乗っけても大丈夫なのか』という問題である。
これは、僕のような駆け出しブロガーが突き当たる大きな壁のうちの一つだと思う。
なぜかというと、Amazonの広告リンクを貼るまでの『信用』が稼げていないが故に、気になった本を紹介したいときに、綺麗な写真を貼ることができないからだ。
僕に法の知識は全くないため、気になってグーグル先生に聞いて見た。
どうやら、法律の専門家に相談しているブロガーが過去に多いということがわかった。
みなさん、真面目ですね。。。
色々な記事を読んででた結論としては
『写真を載せるのはだめ。もし載せるのであれば出版社からの許可を頂くこと』
うむ。これからはこれで固定にしよう。
本当はこれまで読んできたオススメの本のレビューなどをバンバンしていきたいのだが、Amazonさんから信用を得ることができるまでは我慢しよう。
僕の記事でもし、危うい(法的に、倫理的に)点が見つかったら教えてくださると助かります。
自分でも専門知識をつけていかなくてはと思うのですが、一人だと気づかない点があると思っています。
結論
Amazonさんから認めてもらうまで、普通の記事を書いて乗り切るしかない!!!!