【デザインの意味】理系大学院生の私が本気で考える
そもそもデザインとは?
デザインの語源はデッサン(dessin)と同じく、“計画を記号に表す”という意味のラテン語designareである。
また、デザインとは具体的な問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することと解される。
wikipediaより引用 (デザイン - Wikipedia)
その目的のための計画そのものが実は「デザイン」です。色や形、技術や機能は、その目的を実現するための手段のひとつです。デザインは常に「ヒト」が中心にあり、だからこそ社会を発展させる力を持っています。誰かの生活を真に豊かにすること、またはその可能性があること。それを達成しているものごとを我々は「よいデザイン」と考えます。
公益財団法人日本デザイン振興会より引用(デザインとは? | 公益財団法人日本デザイン振興会)
以上のページの参考から初めて、今日はデザインについて考えてみたいと思います。
デザインの定義を 以上二つのサイトを参考に調べてみたところ『デザイン』とは『計画の記号化』であると言うことが大まかな定義であるとわかります。
記号とはすなわち、文字や色そして形などのことですね。(記号=表現)
つまり、それらを駆使して、ある目標を達成することが『デザイン』だと考えられます。
誰しもが『デザイナー』である
この考えの面白い点は、誰もが実はデザイナーであるという点にあります。一般的にデザインとは物や創作物の表層的な面にのみ注目されていることが多く、その成果物の背景にまで興味が向けられることは少ないです。
しかし、デザインの本質はあくまでも『目標達成』のための『記号による計画化』であり、それは我々の目に見えないところで常に行われているのです。
例えばコミュニケーション、これは相手に自分の意思を伝えるために『言語』、『表情』、『トーン』、『声の大きさ』などの記号を組み合わせて、意思伝達の目標達成をしているのです。
当然コミュニケーションだけではなく、今日のデートプランや、食事のメニューそういったものを考えて実行して行くプロセス、それこそがデザインと言えるでしょう。
伝わりましたか?
『記号』とは何か?
デザインとは『目標』を達成するための『記号による計画化』と述べましたが、より詳しい説明を付け足したいと思います。
記号とはデザインツールだと言えます。絵描きにとっては"絵の具や筆"と"腕前"といったようなものでしょうか。
まず記号に関してですが、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」に分かれると言えます。先ほどの例で言うのであれが"絵の具や筆"が『目に見えるもの』、"腕前"が『目に見えないもの』でしょう。
これは『言語』や「声の色』といった不可視な記号と、『色』や『形』といった視覚に直接訴えることができる記号に分かれるということでしょう。
ここで『可視的なもの』と『不可視的なもの』 のマトリクスができますね。
驚くことに『不可視な記号』と『可視的な記号』を思いついた分、ざっと書いてみたのですが、不可視の物の方がたくさんありました。
これについてはまたデザインシンキングのページで説明させていただきたいなと思います。
そうなると『記号の計画化』によって生じるデザインにも『可視的なもの』と『不可視的なもの』が成立するとわかります。
それこそ『モノ』と『行為』でしょう。
『モノ』と『行為』
『モノ』のデザイン
可視的な記号によってデザインされた『モノ』の代表例はコップやいす、スコップといった、生活用品でしょう。
これらは直接的に『目標』を達成する『記号による計画化』が体現されています。
例えば『飲む』という行為を達成するために、素材+加工という記号の組み合わせによってコップはデザインされています。それこそわかりやすいデザインでしょう。
こういったものは、原子の時代から存在するものもありますが、時代が進んで行くにつれ、形式や様式が生まれ、されに地方それぞれの文化に合わせてデザインの形式が細分化していったものが多く含まれます。一方、気候や独自の風土に合わせて誕生したものは伝統的かつその土地独自のデザインとして昇華されたものが多いとも考えられます。
『行為』のデザイン
では対して『行為』とはどのようなデザインなのでしょうか?
これらは主に『不可視的な記号』によってデザインされます。
例えば『演劇』や『祭り』、『卒業式』のようなものでしょうか。
それらは『風土』や『伝統』という不可視的記号を土台に、時代に合わせた変化をしています。さらには舞台構成や、店舗配置、進行の順序といった『形式的なルール』も存在しており、時代が変わっても統一感のある構成になっていますね。
『卒業式』や『夏祭り』といった言葉が持つノスタルジックな印象は、ある程度不可視的な記号によってデザインされた行為が、我々の中の共通認識として存在しているからではないでしょうか?
最後に
デザインといえば、『専門的な知識を持っていて、さらにはイラレやフォトショがバンバン使えて絵も上手い人が初めて口にできる言葉!』
というイメージがあると思います。
けど私はその解釈が嫌いです。
なぜなら、デザインとは私たちがより豊かに生活を営むためのツールであり、目標達成のための計画だからです。つまり、誰しもがデザインをするべきだと思うからです。
最近ミニマリズムという生き方が流行っていて、僕も生活の一部で取り入れていますが、『ミニマリズム』というルールも一つのそのルールという記号によってデザインされた生き方と言えると思います。
こういったように、我々はデザインをデザインとして認識していないだけで、実は我々の生活はそういった無形なるデザインによって構成されているという見方もできるのではないかと思います。
『デザイン』は人によって定義が違いますが、この記事を見て少しでも、認識を広げてくれたら嬉しい限りです。